キングダム合従軍編から学ぶ「結果にコミットする」ということ

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こんにちは。マシューです!

 

僕はキングダムという漫画が大好きで、

キングダム読んでない人とは

酒なんて飲めないんじゃないか思うくらいで、

それくらいおすすめなのでぜひ読んでみてください。

 

 

さて、この作品は

歴史上初めて中華統一を果たした秦の始皇帝

まさにこれから中華統一を成し遂げていこうとする時代が舞台で、

下僕の出身ながら天下の大将軍を目指す主人公の「信」という少年が

親友の死や挫折を経験しながらも仲間とともに夢を叶えていく、

という話です。

 

トーリーの重厚さやスケールの大きさはもちろん、

引き込まれる人間ドラマや迫力の合戦シーンが

作者の原先生による圧倒的画力によって描かれてます!

 

 

すでに40巻を超える大作であり、

数多くの名シーンがあるわけなんですが、

その中でも僕が大好きなシーンがあります。

 

それが冒頭にある画像のシーンです!

 

まぁ簡単にどんなシーンかってのを説明しますと、

主人公の信は秦国の存亡をかけた戦いに参加するんですが、

それが圧倒的に不利な戦いなんですね。

 

とても強力な敵の軍から、

一般市民たちと協力してある城(町)を守ることになったんです。

 

ちなみにその城が落ちると

そのまま国も滅んでしまうという重大な戦いです!

 

援軍も期待できない絶望的な状況なのですが、

それでも7日間も死に物狂いで戦い抜きます。

 

ただやっぱり相手が敵国の精鋭を集めた軍なのに対し、

信たちの軍はほとんどが一般市民ですから、

とうとう陥落の危機に陥ってしまうんですね。

 

そんなとき秦国の同盟である山の民の軍勢が援軍として駆けつけます。

 

完全に虚をつかれた敵軍は一気に崩れ、形勢は逆転!

 

もう敵軍は退却寸前です。

 

そんな退却寸前の軍の中に敗色なんか気にせずに

暴れまくる男がいます。

 

龐煖(ほうけん)です。

 

で、こいつがめちゃくちゃ強いわけです!!

 

これまで秦国の大将軍を何人も討ち取ってきた化物で、

信の憧れであった大将軍の王騎(おうき)もこいつに討たれ

命を落としてるです。

 

ちなみに信も龐煖にボロ負けしたことがあります。

 

そしたらなんとね、ビックリなんですが、

信が龐煖を討ちにいくとか言い出すんですよ!

 

いやいやいやいやいやいやって話です。

 

信は7日間戦い続けてもう限界とか超えちまってるわけですよ。

 

例えるなら、

深刻な二日酔いで動くのもままならないのに、

吉田沙保里に勝負を挑むようなもんです。

 

無謀の極みです。

 

で、当然ですけど、

その無謀の極み信を仲間たちは止めるわけですよ。

 

いや、もう十分よくやったじゃないか!

 

もうすぐ敵は退却するし、

それでオレたちの勝利だ!

 

なのになんでボロボロのお前が、

わざわざ龐煖の前に出ていかなきゃいけないんだ!

 

って、そう言って止めるわけですよ。

 

 

だって龐煖と前回戦ったときは、

ボロ負けして本気で死にかけてるわけですからね。

 

その時信を死なせないために多くの仲間も犠牲になりましたからね。

 

それでも信は行くと言って譲りません。

 

で、一番古い付き合いである仲間から言われるわけですよ。

 

「なぜ、お前が行かなきゃいけないんだ」って。

 

そこで!

 

そこで信が放った一言が冒頭の画像のやつです!

 

 

「俺が天下の大将軍になる男だからだ」

 

 

 

 

「俺が天下の大将軍になる男だからだ」

 

 

 

これですよ!!!(何が

 

 

僕はキングダムの登場人物の中でも、

信が大好きなのですが、

このシーンはほんとに惚れ直しました。

 

 

さてさて、簡単に説明するって言っといて長くなっちゃいましたが、

このシーンの信は完全に未来にコミットしています。

 

コミットというのは、

ある未来に対して臨場感がある状態のことです。 

 

臨場感ってのはつまり「もうすでにそこにいる」とか

「もうすでにそうなっている」とかみたいな感覚ですね。

 

 

で、ある未来に対して臨場感を持っていると、

その未来は自然と引き寄せられてきます。

 

 

巷ではよく「引き寄せの法則」とか言われますけど、

あんなの覚えなくていいです。

 

そんな大げさな話じゃなくて、

わりと当たり前の話ですからね。

 

コンビニに行くのと同じ感覚です。

 

近所のコンビニに行くのに

「おれにそんなことができるかな」とか

「失敗したらどうしよう」とかって

いちいち考えないですよね。

 

行こうと思ったら普通に行ける。

 

それがコミットの感覚であり、

何かに対してそういう感覚があるなら

それはコミットできているということです。

 

信も自分が天下の大将軍になることに対して、

全く疑いを持っていません。

 

本人の中ではもう実現しちゃってるんですね。

 

別に天下の大将軍になることが「簡単で楽勝」とは、

信はまったく思ってないですよ。

 

むしろそれが過酷な道だってことは、

それまでの険しい道のりで十分にわかっています。

 

過酷な道でも自分なら乗り越えられる、ってこと自体に

すでにコミットしているわけです。

 

 

自分の未来に対して臨場感MAXになっていれば、

自然とその未来は自分のもとにやってきます。

 

 

それで、どれくらいのことに対して自分が臨場感を持てるかは、

その人のステージ(位置エネルギー)によります。

 

例えば自分が迷路の中にいるときは、

どこを通っていけばゴールにたどり着けるかってわかりません。

 

でも自分が迷路を見下ろせるくらい高いところにいけば、

どこを通ればいいかすぐにわかりますよね。

 

そうやって上から全体を見ることを俯瞰(ふかん)といいますが、

ステージが上がるとより難しい迷路でも俯瞰して見れるようになるわけです。

 

俯瞰できているからゴールにたどり着くという未来はその人にとって

臨場感MAXになるわけです。

 

「着けるかな、どうかな」と思うんじゃなくて、

「進めば着くでしょ」という感じで。

 

 

 

そして気をつけないといけないのが、

過去に対して臨場感を強くしてしまうこと。

 

過去に臨場感があると、

過去の延長線上の未来がやってきてしまいます。

 

でも、過去と未来は関係ないわけで、

過去こうだったから、未来はきっとこうなるって

繋げて考える必要はないんですね。

 

過去と理想の未来は別物です!

 

もし信が過去に龐煖に負けたことを引きずっていたとしたら、

つまり敗北という過去への臨場感が高い状態だったら

ここで龐煖に立ち向かったりしません。

 

 

自分の過去を理由に夢を諦めたんじゃなくて、

「あの過去があったからこそ成長できたんだ」と

前向きに捉えることで、

つまり過去に対する意味づけを変えることで、

理想の未来に対してコミットできるってことですね。

 

 

というわけで今日はここまでです!

 

ありがとうございました!!

 

 

親のパターンから見る将来起業する子ども

いきなり問題です!

 

次の3つの親のパターンのうち、

子どもが一番起業するケースはどれでしょう??

 

A.親が会社員

 

B.親が自営業

 

C.親が教師

 

 

ちょっと考えてみてください。

 

 

・・

 

・・・

 

じゃじゃん!笑

 

どうですか?

 

まあ直感で言えば「B」の自営業ですよね!

 

それが正解です。笑

 

やっぱり親が自営業だとその子どもも

自分で独立して仕事するパターンが比較的多いそうです。

 

じゃあ1番多いのが自営業だってことはまあいいとして、

2番目はなんだと思いますか?

 

実はCの「親が教師」ってパターンなんですって。 

 

ちょっと意外じゃないですか?

 

僕ははじめて聞いたとき意外に感じました。

 

学校の先生って大学出てすぐに教師として働くわけですから、

社会で働くっていう経験してないじゃないですか。

 

ずっと「学校」という中にいるわけですから。

 

だから学校しか知らない親だと、

子どもの視野が狭くなるんじゃ?

と思ったんですよね。

 

しかしですよ、実は親が社会で働いた経験がないというのが、

逆に子どもにとってプラスの効果となるそうなんです。

 

どうゆうことかっていうと、

会社員とかやってるとどうしても

「社会」とか「会社」とかって枠にいつの間にか囚われて、

染まっていってしまうんですね。

 

でも学校の先生って会社員やったことないから、

それがないわけですよ。

 

つまり、変な既成概念に囚われてないってことですね。

 

だからその子どもも余計な既成概念に囚われない環境で

育つことができるから、将来起業家になるパターンって意外と多いんですって。

 

ま、もちろん教師といっても、

変わり者でおもしろ先生から偏屈な人までいろいろですから、

全部が全部そうってわけじゃないですよ。

 

ちなみに、チャレンジできる人って、

親から甘やかされた人が多いんだそうですよ。

 

要は、チャレンジが上手くいかなくても、

帰れる場所がある人こそチャレンジするんだそうです。

 

チャレンジするなら退路を断て!とか、

背水の陣で臨め!みたいに厳しいこと言う人いますけど、

そんなことはなくて、

安全地帯を持ってる人の方が思いっきりチャレンジできるわけですね。

 

というわけ今日は時間なのでここまで!

 

ありがとうございました!!

小さな枠から脱出する方法

人って誰しも自分の「枠」を持っています。

 

枠って、自分に無意識にかけている制限のことです。

 

ここまではやっていいとか、

これはやっちゃいけないとか、

自分の思考や行動に対してかけてしまっている制限です。

 

それは親から影響や学校での教育によって

幼少期から作られます。

 

多くの人はその枠があるために自分の人生に制限をかけてしまい、

今ある枠組みで人生を生きようとしてしまうわけですね。

 

でもそれってとっても苦しいわけですよ。

 

人って生まれたときから一人ひとり違った心の形をしているわけです。

 

でもいつの間にか出来上がってしまったその枠に

無理やり自分の心をはめ込んでしまっている。

 

その枠から出ることは「悪いこと」だと思いこんでいるから、

それがますます心を苦しくするわけです。

 

しかも、その枠って自分では自覚するのが難しいのです。

 

それだけ無意識にやってしまっているってことです。

 

 

表面的に出てきている部分はわかりやすいんですよ。

人から指摘してもらえば気づけたりしますから。

(指摘されても気づけないこともありますが)

 

例えば枠はその人の性格にも表れるので、

 

「あぁ、自分って真面目な性格だな」

 

とかって自覚することはできます。

 

でも真面目な人にとって、

その真面目さっていうのは

「当たり前」のことなんですね。

 

もう呼吸をしてるのと同じレベルで、

自然とやってしまっていることなんです。

 

だからその真面目って枠を飛び越えようと思っても、

どうしたらいいのかわかりません。

 

不真面目なことをしてみれば?

 

と思ったとしても、

真面目な人にとって不真面目なことって、

悪いことなんですね。

 

真面目さが自分のアイデンティティーとかだと思ってると、

問題はさらに根深くて、

不真面目なことをしたらそれはもう自分ではなくなってしまう

くらいまで深刻に考えてしまいます。

 

でも、まず前提のマインドセットとしてもってなきゃいけないのは、

この世に絶対の正義や悪はないってことです。

 

不真面目さがときに人の役に立つこともありますし、

真面目さが人を苦しめることもありますから。

 

だから、まず「絶対にこうあらねばならい」というものは

この世にないんだってことを知ることです。

 

その上で「こういうのが自分だ」と決めつけない。

 

今の例で言うなら、

真面目なのが自分だと決めつけないってことです。

 

自分はこういう人間だという「レッテル」を

自分で貼ってしまいがちですし、

他人も貼ってきます。

 

でも、そのレッテル自体が枠になってしまうわけですから、

そのレッテルは自分で剥がしてしまいましょう。

 

そして自分の枠を壊すには

 

普段自分がしないことをしてみること、

 

自分の枠の外にいる人に会うこと

 

なんかが強力です。

 

 

自分の枠の外にいる人っていうのは、

自分の常識からは外れた人とも言えますね。

 

ふわっといえば、

今の自分から見てブッ飛んでる人です。

 

そういう人からの刺激は強力ですからね。

 

 

それと自分が普段しないことをするってのは

お手軽にできて有用です。

 

普段入らない店に入るとか、

普段食べないものを食べるとか、

とにかく自分を固定してしまっているものを

取っ払うことです。

 

人はすぐ自分の慣れ親しんだものばかりやろうとしますし、

慣れたことだけで日常を構築しようとしますからね。

 

それって心や脳が枠の中で凝り固まって

不自由な自分になってしまいますから。

 

体が固いみたいな状態です。

関節曲がりづらいとかだったら

歩くのもままならないですよね。

 

 

というわけで今日は時間なので以上です!

ありがとうございました!

 

 

先日、セルフイメージやエネルギー循環のことを

脳科学の視点からお話しまいた。

 

覚えてますでしょうか??

 

今日はその考え方をさらに発展させてみようと思います。

 

それは「徳」と「信頼残高」という考え方です。

 

良いことをすると内側前頭前野における

自分自身への評価が高まり、

その評価の分だけ受け取れるものを増える

というのはすでにお話したことですが、

これは「信頼残高」という話と関連してきます。

 

これは良いことをした際のプラスの評価が

脳内にたまるのでなく、

宇宙にある銀行にたまっていくという考え方です。

 

宇宙ってのはあくまでイメージですよ。

 

まあどういうことかというと、

このブログを読んでる人が1万人いたとしましょう。

 

僕が1つの記事を書いてアップすると、

1万人の人が読んでくれるわけです。

 

その際に1人あたり100ポイントが、

僕の宇宙銀行の口座に信頼残高としてたまっとします。

 

そうすると宇宙銀行には100万ポイントがたまったことになるわけです。

 

あくまでその書いた記事が人の役に立っている

ということが前提ですけどね。笑

 

それに人によっては受け取るエネルギー量が違うので、

みんなに対して一律で100ポイント分がたまるわけじゃありません。

 

数字はわかりやすいように適当に話しています。

 

それで、ですよ。

 

そうやって僕がアップする記事が

価値のある記事だったなら、

読んでる内に

「こうやってブログから価値をもらっている分、

何か返していかないとな」って思うようになります。

 

そこに例えば僕が今度セミナーをやりますとなると、

溜まっている信頼残高の分だけ人が参加してくれるのです。

 

さっきの溜まっていた100万ポイントで、

一人セミナーに呼ぶのに1万ポイント消費するとしたら、

100人は僕のセミナーに参加してくれることになります。

 

あくまで数字はわかりやすいように適当に話しています。笑

 

逆にいえば、

信頼残高がない状態で何かビジネスしようとしても、

誰も何も買ってくれないということです。

 

もっと言えば信頼残高以上の結果をビジネスで出そうとすると、

急にクレームが増えたり、何かしらトラブルが起きたりするんですね。

 

 

それで、この信頼残高をさらに発展させたのが、

「徳」という考え方です。

 

まあ今日は時間なのでここまでにしておきます。

 

次回か、そのまた次回になるかわかりませんが、

とても大事な「徳」の話をしますね。

 

では今日もありがとうございました。

 

 

 

神話の法則でみる千と千尋の神隠し

人は無意識の中にある「パターン」を持っています。

 

そのパターンというのは、物語、ストーリーのパターンです。

 

そのパターンに沿って作られた例えばマンガや映画というのは、

多くの人に受け入れられやすく、

語弊を怖れずに言えば、ヒット作品になりやすいのです。

 

そういった人間のもつ神話というストーリーパターンを

研究して作られたのが「神話の法則」です。

 

神話の法則で語られるストーリーパターンを簡単に

説明すると、

 

日常の世界(オーディナリー・ワールド)

新世界(スペシャル・ワールド)

日常の世界(オーディナリー・ワールド)

 

という風に主人公が冒険するストーリーです。

 

もうちょっと噛み砕くと、

 

日常の世界にいた主人公があるきっかけを得て、

 

新世界へと旅立ち、

 

そこでいろんな試練や困難を乗り越えたり、

 

人との出会いだったりを通じて成長し、

 

最後の試練を乗り越え宝を手に入れ元いた世界に帰る。

 

という流れです。

 

まあこれは概要の説明のためにざっくり説明しただけで、

細かく見ればもっといろんなプロセスや物語の要素があります。

 

さて、なんとなく神話の法則の全体像は掴んでもらえたかなと思います。

 

今日は今お渡しした「神話の法則フィルター」を使って、

ある映画について見ていこうと思います。

 

その映画というのは「千と千尋の神隠し」です。

 

かなり有名な作品なので、

これを読んでくれているあなたが観たことある前提で

話しますね。笑

 

千と千尋の神隠しを神話の法則に当てはめてみると、

 

人間の世界(オーディナリー・ワールド)にいた千尋が、

 

神の世界(スペシャル・ワールド)に迷い込み、

 

人との出会いや困難や試練を乗り越える経験を通して成長し、

 

最後の試練を乗り越え「ある宝」を手に入れて、

 

人間の世界に帰って行く、

 

というストーリーになっています。

 

 

この「ある宝」というのがとても興味深いところなんですが、

結論から言ってしまいましょう。

 

その宝とは「母親からの自立」です。

 

千と千尋の神隠しには、

姉妹の魔法使い「ゆばーば」と「ゼニーバ」が登場します。

 

実はこの二人は母親の2つの側面を表しています。

 

それが、

子どもを包み込む「陽」の側面と

子どもを抑圧し支配する「陰」の側面です。

 

千尋に対して冷酷で支配的なゆばーばは陰。

千尋に対して温かく優しいゼニーバは陽です。

 

千尋はこの二人から母親の陰と陽の2つの側面を

学んだことで成長し、

最後の試練(ここでは豚になった両親を言い当てること)

をクリアして元いた人間の世界に帰っていくのです。

 

 

ここで一つ付け加えると、

一見ゆばーばは千尋にとって悪い存在に見えるのですが、

必ずしもそうではないということです。

 

なぜなら、陰の存在であるゆばーばがいなかったら、

千尋は成長していなかったからです。

 

人の成長には陰と陽どっちも必要なんですね。

 

どっちかだけだと真の意味で成長することはできないんです。

 

この考え方がとても大事で、

人はある出来事に対してプラスとマイナスのレッテルを

貼ってしまいます。

 

「これは自分にとっていい出来事」

「こっちは自分にとって悪かったマイナスの出来事」

という風に。

 

たしかにそのときに見たら嫌な出来事はマイナスに感じるかもしれませんが、

その経験を通して成長することで、

人生全体で見るとその出来事がプラスだったと言えるのです。

 

 

と言った感じで今日は時間が来たので、

ここまでにします。

 

ありがとうございました!

 

 

赤い下敷きでビジネスする方法

前回は脳科学の観点からエネルギー循環や

セルフイメージについて話して、

それで続きを書こうと思ったんですが、

別のことを話したいと思い立ったのでそっちを書きますね。

 

 

今日話そうと思ったのは、

「フィルター(視点)」についてです。

 

人は誰しもそれぞれ自分のフィルターを持ってます。

 

フィルターってどんなものかって言うと、

赤い下敷きをイメージしてみてください。

 

赤い下敷きを通して見てみると

全てが赤く見えますよね。

 

赤以外の光(情報)を下敷きが通さないからです。

 

それと同じで人はみな、無意識に受け取る光、

まあ言い換えれば情報を選んで

世界を見ているわけです。

 

カフェ好きな人が街を歩けば、

自然とカフェが目に入ります。

 

どこにどんなカフェがあるか覚えてるはずです。

 

逆にカフェに興味ない人は、

え、そんなカフェあったっけ?

くらいにしか思いません。

 

同じ映画を見ても、

面白いと感じる人もいれば、

全然つまらなかったと思う人もいます。

 

そういうのってすべて、

フィルターが違うから起こることです。

 

見えてる情報が違うんですね。

 

で、こっからが重要なんですが、

「ビジネスはギャップに存在する」

と言います。

 

ギャップって何のギャップかと言うと、

フィルターのギャップです。

 

それぞれ見えてるものが人によって違うから、

つまり持っているフィルターが違うから、

そこに価値が存在するんですね。

 

例えば僕は中古カメラの転売をしています。

町の中古カメラ屋いって、カメラを仕入れ

それを売ることで利益を生み出しています。

 

どのカメラを仕入れればいいかって、

見ればわかるんですね。

 

でも普通の人はそんなのわかりません。

 

僕の持っている「中古カメラの目利き」フィルターを持ってないからです。

 

もちろん僕も見ただけじゃ利益が出せるかわからないカメラもあります。

 

でも、そういうときはネットその商品の相場を調べます。

調べると仕入れるべきかそうでないかが判断できます。

 

でもそのへんの町ゆく人に同じことを要求してもできません。

 

ネットで相場を調べるフィルターを持ってないから、

やり方がわからないのです。

 

でも僕がそれらを教えてあげれば、

僕と同じようにカメラを仕入れてネットで売り、

利益を出すことが出来るわけです。

 

教えるというのは僕の持っているフィルターを

提供して上げることです。

 

そして中古カメラの転売を人に教えるというのは、

1つのビジネスとして成り立ちます。

 

要するに、

フィルターのギャップがあれば、

ビジネスってできるわけです。

 

ちょっとまとまらないですが、

今日は時間なのでここまで。

 

 

脳科学でみるビジネスの成功法則

セルフイメージの高い低いが

ビジネスの成功と深い関係があるというのは、

自己啓発やビジネス関連のセミナーや本で学んでいると

よく出てくる話です。

 

それと、エネルギー循環の話。

 

自分のやっていることが、

世の中を循環して自分に返ってくるよ、

ってやつですね。

 

プラスのエネルギー、

つまり誰かの役に立ったり、

人を喜ばせること、ですが、

それを循環させれば、

巡り巡って自分にプラスのエネルギーとして返ってきます。

 

そのエネルギーって、

例えばお金だったり、アイディアだったり、

人との出会いだったり、その他いろいろです。

 

逆にマイナスのエネルギーを循環させれば、

自分にもマイナスが返ってきます。

 

マイナスってちょっとわかりづらいかもしれないので、

「人からエネルギーを奪うこと」だと思ってください。

 

自分が人の役に立っていないのに、

お金をもらう、

つまり極論、詐欺みたいなことをして

人からお金をもらっている人は、

それが巡り巡って自分に返ってきます。

 

あらゆる理由で自分の手元からお金が逃げていくわけです。

 

と、話を戻しますね。

 

このセルフイメージやエネルギーの循環って、

目には見えないものなので、

なんとなく理解してるよくらいの感覚だと思います。

 

じゃあ、これをね、

脳科学の観点から説明しますよ、

というのが今回のお話!

 

そして今回のキーになるのが、

「内側前頭前野(ないそくぜんとうぜんや)」

という脳の部分です。

 

まずこれがどんな役割のある部分なのか、というと

「自分を評価する」

という役割を持っています。

 

自分がいいことをすればプラスの評価を、

自分「やるべきじゃない」と思ってることを

やってしまうとマイナスの評価を自分に与えるんですね。

 

それがどうビジネスと関係があるのか、というと、

人って自分が自分に許してる範囲でしか

何かを受け取れないんですよ。

 

何かっていうのはお金だったり

チャンスだったり、人との出会いだったり

アイディアだったりとまぁこれまたいろいろです。

 

その自分に許してる範囲ってのが、

自分への評価で決まるってことです。

 

つまり、

自分への評価以上のものを人は手に入れることができないのです。

 

例えば、内側前頭前野における自分の評価が100だとしますね。

それで評価100に対して受け取れるお金を1,000万円とします。

 

するとね、その人って1,000万円までは受け取れるんですが、

それ以上の金額は稼ぐことができないんです。

 

なぜなら、評価を超える範囲については

無意識にブレーキをかけてしまうからです。

 

無意識にってとこがポイント。

 

自分で意識してやってるわけじゃないから、

そもそも自分にブレーキかかってるって気づきません。

なぜ自分が1,000万円しか稼げないのかわからないんです。

 

もしこれが評価1,000の人だったら、

同じことをしていても1,000万円でなく、

1億円もらったりするわけです。

 

 

これってお金じゃなくて、

チャンスを見つける力にも関わってきます。

 

同じものを見ていても、

そこにビジネスチャンスを見つけられる人と、

そうでない人がいます。

 

これも内側前頭前野の自分への評価の高さが関わっているのです。

 

評価100の人は目の前のチャンス10個中8個気づけるけど、

評価10の人はチャンスが10個あっても1つしか気づけない、

みたいなことになってしまうわけです。

 

これってセルフイメージと一緒ですよね。

セルフイメージが高い人はその高さに応じて収入を得てますし、

低い人はやっぱりその分の収入なのです。

(もちろん単純な比例関係じゃないですが、あくまでイメージとしてですよ)

 

 

エネルギー循環の話で言えば、

自分が他者に与えてる以上のエネルギーは自分に返ってこないって話です。

 

なぜなら、自分が他者に与えてるエネルギーによって

内側前頭前野の評価が決まるからです。

 

人の役に立つこと、喜ばせることをしていると

内側前頭前野の評価も高くなり、

その分沢山のエネルギーを自分が受け取ることができます。

 

もし自分の行動に関して矛盾があると、

内側前頭前野の評価は下がってしまいます。

 

「あんなことやらなければよかった」とか、

「本当はやっちゃいけないことだけどやっちゃおう」とかですね。

 

そういう自分の中で矛盾のある行動は自分の評価を下げますし、

自分が受け取る範囲を狭めてしまうわけです。

 

というわけで今回は以上です!

 

ビジネスの成功と内側前頭前野の話、

なんとなくでも伝わったでしょうか?

 

次回はこの話をさらに掘り下げていこうと思います!