三国志 Three Kingdoms 第85話 感想

三国志 Three Kingdoms

第85話 罵って王朗を殺す

 

王朗さんの憤死シーンが衝撃的すぎて吹き出しました。笑

 

孔明先生もあんなふうに人をボロクソに罵るのですね。

 

 

そして今回印象的に残ったシーンの1つが、

曹叡に対して臣下(ショウ大夫?)が

天子の在り方を説くシーンです。

 

「天子たる者は宮中を支配し、

 兵法でなく人を知るべきです。
 ことさら知るべきは、
 誰を戦に行かせ、
 誰に国を守らせるべきかです。」
 
というふうに曹叡に進言していました。
 
何も皇帝自らが兵法で諸葛亮に勝つ必要はないのですね。
 
このシーンを見ていてふと思ったことがあります。
 
それが超人願望を捨てることの大切さです。
 
人は、とくに男性は、
超人願望を持っている方が多いと思います。
 
超人願望、要するに
人よりも優れていたいということですね。
 
僕自身も超人願望はあります。
 
ただ、結構それってただの自己満足のためなんですよね。
 
人より優れていたい、
他人と比較して優越感に浸りたい、
何でも自分の思い通りにしたい、
そういう傲慢さが超人願望の根底にはあるように思います。
 
そういう考えはきっと誰しも
多少は持っているものなんだと思います。
 
 
その一面が強く外側に出ている人が
いわゆる「我(が)が強い人」なのでしょう。
 
また、同時に思うのは、
「我(が)」を捨てることこそが、
本当に人が幸せに生きる道なんだということです。
 
幸せな人って、
真の意味で自分らしさを発揮している人だと思うのですが、
「人より優れていたい」という超人願望は
本来その人が持っているものではないのです。
 
 
ですから超人願望を叶えても
人は幸せになることはできません。
 
むしろ、超人願望は
その人が本来持っている自分らしさ
を殺してしまいますし、
自分を不幸にするものです。
 
 
なぜなら、超人願望とは、
親、友人、学校、会社、マスメディアなど
自分を取り巻くあらゆる環境によって
植え付けられるものであり、
それは本来の自分らしさを覆い隠してしまうものだからです。
 
 
説明がちょっと回りくどくなりましたが、
簡単に言えば、
人は「魂」があります。
 
そして、魂を発揮できている状態が、
真にその人が輝き幸せに生きている状態と言えます。
 
ですが、魂を覆うように心があり、
その心が魂の輝きを覆い隠してしまうのです。
 
心は、その人が幼い頃から時間をかけ
周囲の人間やマスメディアなどによって
変化していきます。
 
周囲から良い影響を受けて変化するならいいのですが、
どうしてもそうとは限りません。
 
環境によっては悪影響を強く受けてしまうことも多いのです。
 
そして心が曇り、魂の輝きを通さなくなった状態が、
「我が強い状態」とさきほど筆者は表現したのです。
 
ですから、その人が本当の自分の輝きを取り戻すのに
必要なことは、「我」をなくしていくことです。
 
 
そしてその一歩が、
自力でなんでもやってやろう
他人よりも優れた自分になってやろう
という超人願望を捨てることなのです。
 
 
うん。とりとめのない文章になりましたが、
今日は以上です。