ドール〈自動手記人形〉という旅に出たヴァイオレット〜ヴァイオレット・エヴァーガーデン4話感想とか〜

冒頭でいきなり、 

アイリスの「わかってる」に対するツッコミがもう別人みたい!

 

人間の機微に完全に鋭くなっとるやん!
 
と思ったけど相変わらずな一面がまだまだ残ってましたね。
 
そんな人形みたいな性格もヴァイオレットの魅力なんですけど。
 
 
そういえば、
アイリスの家族に挨拶するヴァイオレット
すごく綺麗でかっこよかったですね。
 
アニメ放送はじまる前に
あのシーンをPVか何かで見て
とっても気になってました。
 
 
そして今回はアイリスとのお話。
 
「愛してる」の意味を探すべく
ドール〈自動手記人形〉という旅に出たヴァイオレット。
 
 
毎度のストーリー自体はいたってシンプルです。
 
その回で相方となるキャラがいて、
何かしら問題が起き、
相方との摩擦や協力を得て
相方キャラとヴァイオレットが共に成長していく
 
という一連の流れです。
 
 
ヴァイオレットは複雑な人間の心がまだ理解できていません。
(いや、普通に誰だって理解し切れないのが人心というものですけどね)
 
 
そんなヴァイオレットは思考がとてもシンプルです。
 
そしてシンプルゆえに、まっすぐに相手の心に響いてきます。
 
エリカもアイリスたちはヴァイオレットからその「まっすぐさ」をもらい、
ヴァイオレットはエリカやアイリスから「心の複雑さ」をもらうことで、
互いに成長していく感じです。
 
 
 
そういえば、
第2話で少佐からもらったエメラルドが手元に戻ってきたときに
とても優しく穏やかな表情で喜ぶヴァイオレットを見て
ホッジンズが反応していましたが、
 
「こ、こいつ、実は愛してるの意味わかっとるんやないか」
と僕の脳内ホッジンズはつぶやいていました。
 
 
そう、ヴァイオレットは愛してるの意味を探しつつも、
実はすでにその意味を知っているんじゃないかと思うんですね。
 
 
ただ、その気持ちや想いに気づけていない。
 
だから毎回いろんな登場人物たちと交流する中で、
ちょっとずつ、ちょっとずつ宝の手がかりを拾い集めているのです。
 
 
そして最後には探していた宝はすでに持っていたことに気づく。
 
 
あぁ、知りたいと思っていたけど、
自分の中にあったこの気持ちや想いが
実は「愛してる」だったんだ、って。
 
 
というのはちょっとベタな気がするので、
この作品ではきっとそんな予定調和は超えてくると思います。
 
 
そしてもし少佐がすでに亡くなっているとしても
やっぱり最後は少佐に手紙を書くことで
自分の気持ちを伝えるのでしょうか。
 
 
どんなところに物語が着地するのか今から気になります。
 
 
ところで、ヴァイオレットは和名にするとスミレです。
 
今回の第4話では、少佐がヴァイオレットに名前を付ける回想がありましたね。
(軍服ヴァイオレットがマジ天使)
 
 
劇中で少佐が見かけて、
少女時代のヴァイオレットに名前をつけるきっかけとなったのは
紫のスミレでした。
 
調べてみましたが、紫のスミレの花言葉は「愛」なんですね。
 
 
マジかよ、シャレてんなおい!
と調べた時はちょっと興奮してしまいました。笑
 
 
それにしても、ヴァイオレットみたく
たくさん失敗したり、苦い経験をしても
それでもめげずに成長していくキャラの姿には
本当に勇気をもらえます。
 
 
筆者も普段は都内の会社で働いていますが、
うまくいかないことやつらいことがあったときは
アニメや漫画の主人公たちの奮闘を思い出して、
「自分もがんばろう」と自分を鼓舞しています。
 
 
こんなこというと、
「いやいや、所詮は物語だから。
現実とは関係ないでしょ」
みたいに考える人もいるかと思います。
 
 
でもね、
起こる問題やぶつかる壁のスケールが違ったとしても、
物語と人生というのは相似形なのです。
 
ですから、表面的に違ったように見えても、
その構造や本質は同じだったりします。
 
 
なので、
所詮はお話だから、と他人事のように考えず、
ぜひ人生の糧にしていってはどうでしょうか。
 
そうすれば、好きなマンガやアニメが
自分の人生でもっと大きな意味をもってくるはずです。
 
 
というわけで今日は以上です。
 
ありがとうございました!

 

カイロ・レンが光サイドに戻らなかった理由『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ネタバレ感想と考察

 今回の作品エピソード8『最後のジェダイ』を見てみておもしろいなと思ったのが、

エピソード6『ジェダイの帰還』との対比です。

 

『最後のジェダイ』では当初ラスボスかと思われていた

帝国の最高指導者スノークをカイロ・レンがあっさり倒してしまいます。

 

 

正々堂々ではなく不意打ちでしたが。笑

 

 

ですがここで興味深いことが起きます。

 

ジェダイの帰還』ではダース・ベイダーことアナキンが

ラスボスであるシディアスを倒し

ルークのいるライトサイドに戻ってきます。

 

しかし、『最後のジェダイ』ではスノークを倒しても、

カイロ・レンはレイのいるライトサイドに戻ってきません。

 

手を取り合おうとレイに提案しますが

それはあくまで自分と一緒に帝国を乗っ取り

自分たちで新しい世界を作っていこうという話でした。

 

なぜ、カイロ・レンはダークサイドの象徴であるスノークを倒しても

光側に戻ってこなかったのか。

 

それについて考察してみました。

 

ここで重要になってくるのが、

アナキンとカイロ・レン、2人がダークサイドに落ちた際の

師匠の対応です。

 

アナキンの師匠といえばオビ=ワン・ケノービですが、

エピソード3においてアナキンがダークサイドに落ちた際に

オビ=ワンは最後まで自分の弟子を光に引き戻そうと

必死にアナキンに訴えかけていました。

 

結果としてアナキンはダース・ベイダーとなってしまいますが、

自分がオビ=ワンから大切に思われていた記憶は

本人の気づかないところで大きな影響を及ぼしていたと考えられます。

 

一方でカイロ・レンの師匠であるルークですが、

前回でも書きましたが

あろうことか弟子を暗殺しかけてましたからね。笑

 

ここがカイロ・レンにとって一番のトラウマなんだと思います。

 

もうジェダイ(光サイド)なんて信じられねーよ、と。笑

 

そういったジェダイや光への不信感があったために、

スノークという闇を打ち倒してもなお

ライトサイドへは帰還できなかったのだと思います。

 

 

 

 

 

「ルーク、おまえダークサイドに落ちとるやないかーい!!」。『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』ネタバレ感想

前置きとかすっ飛ばして早速本題からいきますと、

「ルーク、ダークサイド落ちとるやないかーい!!」

ってことです。

 

いや、たぶん完全に落ちてるわけじゃないです。

おそらく片足を突っ込んでる程度です。

 

弟子であるカイロ・レンが第2のダースベイダーになると予感したルークは

その最悪の未来を回避するためにカイロ・レンの暗殺に踏み切ります。

 

結果その暗殺は失敗するわけですが、

そのことが決定打となりカイロ・レンは見事にダークサイドに落ちてしまいます。

 

暗殺という手段が間違っているとどこかで気づきつつも、

最悪の未来を回避しようした結果、

逆にその最悪の未来を引き寄せてしまったわけです。

 

ここかなり興味深いですね!

 

どうしてルークはダークサイドに片足を突っ込んでしまったのでしょうか?

その考察をしてみようと思います。

 

まず、ルークは闇(ダークサイド)に対して極度の嫌悪感や

危機感をもっているのだと思います。

 

言うなればダークサイドに対する潔癖症です。

 

自分の父親がダース・ベイダーであったこと、

自分は前回の戦争を終結に導いた伝説の英雄で、

最後のジェダイマスターであったこと、

そういった要素が必要以上に闇に対する潔癖症をつくったのでしょう。

 

そしてもう一つあるとすれば、

ジェダイとして相談できる相手がいなかったことです。

 

もしその場にヨーダやオビワンがいて相談していたなら

暗殺という手段はとらなかったはずです。

 

一人で抱え込んでしまい、

悩みが雪だるま式に大きくなり

思い詰めた結果、

冷静な判断ができなくなってしまったのでしょう。

 

それらの要因のために、

カイロ・レンの中にある闇を受け入れることができず、

言い換えれば、清濁をあわせ呑む精神的余裕がなく、

ジェダイらしからぬ非情な手段をとっていまったのだと思います。

 

そしてルークは自らの誤ちによる罪悪感と

自身とジェダイへの不信感から一人孤独に辺境の星へと旅立ってしまったわけです。

 

これは一種のアイデンティティ・クライシスですね。

 

ルークは自分が最後のジェダイマスターであり、

新世代のジェダイの騎士のお手本になるはずだったのに誤ちを犯してしまいました。

 

そのため自分と、そしてジェダイそのものを

信じられなくなってしまったわけです。

 

 次回へつづく!

 

 

 

脳内に棲む魔物「テング」

ビジネスで成功すると
人によってはだんだん偉そうになり、
「どうだ、自分はこんなにすごいんだぜ!」
みたいな態度で自己顕示欲まみれになってしまう人がいます。
 
 
そういう人を一般的に「テング」というわけですが、
実はこれを脳科学的な切り口で説明することができるんですね。
 
 
これは脳科学の分野で言われていることですが、
人というのはみんな多重人格者です。
 
 
いやいや、自分はいつでも自分で
他の人格になったことなんてないですよ、
と思う方がほとんどだと思いますが、
 
実は単にいつでも自分は自分と思い込んでいるだけで、
そのときの自分の状態で別人格が出ていることがあるんです。
 
 
状態といったのはエネルギーの状態です。
 
簡単にいえば、
エネルギーの高い状態の自分→本来の自分
エネルギーの低い状態の自分→別人格
ということです。
 
 
そして、テングの話ですが、
成功して偉そうになってしまっている人は、
「自己顕示欲を満たしたい」人格が表に出ている状態というわけです。
 
それを「テング」とわかりやすく呼んでるわけなんですね。
 
ちなみにテングに限らず、
脳内にはたくさんの人格が存在しています。
 
 
今日は時間なのでそれについてはまた次の機会に話せたらなと思います。
 
では、ありがとうございました。
 

秒速5センチメートル ネタバレ感想

昨年2016年は「君の名は。」が大ヒットしたわけで、

僕も映画館で観てきました。

 

そして今になってようやく観ました「秒速5センチメートル」。

 

新海誠さんの作品は「言の葉の庭」も観ましたし、

雲のむこう、約束の場所」や「ほしのこえ」も観ました。

 

でも新海誠と言えばなにかと話題になる「秒速5センチメートル」は

これまで一度も観たことなかったんですね。

 

本編はTVアニメみたいに各話で区切られて構成されてるわけですが、

第一話の「桜花抄」ではスタートしてからずっと胸がムズムズしっぱなしでした。笑

 

もうね、貴樹と明里の青春オーラに当てられてしまって、

くすぐったくなってしまって。笑

 

こ、こんな青春がこの世に存在するのか!?

もし存在するなら自分が過ごしてきた10代とは一体・・・

 

とアニメに対して真剣に青春コンプレックスを発症しました。笑

 

 

東京と栃木って遠いよね、みたいなことを漏らす13歳の貴樹に

「いや東京と栃木なんてめっちゃ近いよ!」

と心の中で大人ツッコミを入れる茨城出身の28歳。

 

なぜ2人が会う日を土日にしなかったのか、

と疑問に思いつつも

約束の時間をとっくに過ぎてもなかなか電車が動かないことと、

明里に対しての申し訳なさに

観てるこっちまで胸が押しつぶされる思いでした。

 

 

トーリーを全く知らずに観始めたわけで、

「これもしかしたらもう駅に明里はいなくて、

想い合う2人はもう二度と会えないパターンの映画なのか?」

と頭を一瞬よぎったのですが、

約束の駅に着き、改札を通り、待合室に明里の姿を見つけた瞬間は

もう僕が泣きそうになりましたよ。笑

 

そして2人のトーク

これがまたリアルにありそうな言葉のチョイスとテンポの会話なんですよね。

そこがまたいい!

 

終電ないけど貴樹はどうするんだろう?

やっぱり明里の家に泊めてもらうのかな?

と思ったらまさかのボロ小屋での外泊!笑

 

ちゃんと2人とも家には連絡してるのかな?と謎に心配する28歳。

 

でも観てる方としては小屋での外泊は全然アリでした。

中学生男女が2人で毛布にくるまって大人のいない空間で夜を明かす。

2人を見ててワクワクして、ドキドキするけど、なんか泣きそうになる。笑

 

いやほんと貴樹に場所代わってほしい←

 

 

 

そして続く第二話と第三話。

 

こっちの感想はさらっと。

 

そう、たぶんあまり王道ではなかったですね。

 

 

もし第三話で東京に戻ってきた2人が再会して、

結ばれるというストーリーだったならば、

新海ファンが好むかどうかは別として、

もっと大衆ウケする作品になっていたと思います。

 

 

君の名は。」での2人は東京で再会を果たしますが、

この作品では結局再会しませんもんね。

 

明里の方はすっかり吹っ切れていて別の男性と婚約までしてますし。

 

まだ過去の恋を引きずっている貴樹は見ていてちょっと不憫な気がしちゃいました。

 

なんせ別の女性と付き合ったらしいけど

心の距離は1cmほどしか縮まらなかったそうですからね。笑

 

 

まあ別に王道の大衆ウケするものが必ずしもいいわけじゃないですしね。

 

 

もうね、この映画で学んだことは2つですよ。

桜の花びらが落ちるスピードは秒速5センチメートルで、

失恋を引きずるのはやっぱり男ってこと。笑

 

 

 

 

 

アニメを見てビジネスで成功する方法

僕がこうやって文章書いているとき、

つまり情報発信しているときに意識していることって、

読者さんとのコミュニケーションなんですね。

 

で、僕はアニメが好きで毎日何かしたのアニメを見るんですが、

そのときに意識していることって

アニメ制作スタッフさんとのコミュニケーションなんですよ。

 

アニメも言ってしまえば情報であり、コンテンツです。

 

当然それは野原に咲いている花じゃないですから、

作り手がいるわけです。自分と同じ人間が作ってるわけです。

 

ちなみに僕が情報の発信側にいるときに考えるのは、

どうすれば自分の伝えたいこと、つまりメッセージを

読者さんにわかりやすく伝えられるかなということなんですね。

 

自分が情報を受け取る側だけにいたら意識しなかったと思うんですが、

僕自身が情報の発信側、コンテンツの作り手側を経験することで、

アニメスタッフの意図やメッセージを

受け取ろうとする視点が芽生えたんです。

 

実はそういう視点で見ると、

また新鮮な感覚でアニメを見るとことができます。

 

同じアニメを見ていても、

他の人よりも多くの情報を受け取ることができる可能性があるわけです。

 

それがなんの役に立つの?

と思うかもしれませんが、

人と違う視点を持つことを意識する、

その視点を鍛えるということをすることで、

人とは違うアイディアを生み出すきっかけを増やせるんですね。

 

確かにアニメは言ってしまえば娯楽ですから

各自が好きなように楽しめばいいわけですけど、

楽しみながら自分を鍛えることができるなら

それって素晴らしいことだと思いませんか?

 

人と違うアイディアを出せる人って、

ビジネスをしていても重宝されます。

 

価値のある人材なんですね。

 

もちろんビジネス限らず、

人と違う視点を持ち、

柔軟に思考したりユニークなアイディアを生み出せることは

人生そのものを豊かにしてくれるはずです。

 

というわけで今日は以上です。

ありがとうございました!

 

自分と世界とは鏡

最近意識していることがあって、

それが自分の思考を観察するってことなんですね。

 

今自分が何を考えているのか、

どう感じているのか、

みたいなことをメタ視点で観察するようにしています。

 

そうすることでその思考や判断の根拠になっている

価値観やフィルターはなんなのか、

ということを自分で見つけて自覚するようにしているんですね。

 

というのも人って幼い頃から知らず知らずの内に

刷り込まれた価値観や信念があって、

それに行動や思考が縛られ不自由になっているということが

少なくないからです。

 

僕が目指している自由って

経済的な自由や時間的な自由の他に

精神的(思考的)自由があります。

 

精神的な自由ってなにかというと

自分のフィルターや価値観や信念を深く理解していること、

必要とあらばその柔軟に新しい価値観やフィルターを足したり、

外したりできること、

そして信念ともちょうどいい距離感で付き合えることを指しています。

 

結局、お金や時間がたくさんあっても、

自分の内なる世界を広げられないならそれは不自由だと

僕は思っています。

 

いつでも海外にいけますとか、

ほしいものは何でも買えますとか、

物質的に豊かになったり、

友達にリア充アピールできても

そんなのは別に豊かさの本質じゃないんですよ。

 

豊かさってのは自分の内なる世界をどれだけ広げられるか、

というところにかかってきます。

 

自分の内なる世界が広がれば、

目の前に広がる外の世界も広がるはずです。

 

今まで見えなかったものが見えるようになる、

今まで気づかなかったものに気づけるようになるんですね。

 

同じマンガを読んでも感じ方が豊かになり、

他人をより深く理解できたり、

それまで無関係だったものに繋がりを発見できたりね。

 

自分と世界は鏡合わせなんですよ。

 

思いつくままに書いたんでうまくまとまってないですが、

今日は以上です! 

 

ありがとうございました!